小正月。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
皇祖皇太神宮に初詣しました。
いつもなら雪で参拝できないところ、この冬はまだ積雪がないので。
参道のハコベもみずみずしく。
タンポポや梅も咲くこの正月。
冬イチゴです。
ぎっくり腰1カ月と19日目の今日、腰に痛みは残るものの、
かなり動けるようになっています。
先日岐阜のわの舞かまちゃん講習受けました。
なんだか、最後のあゆみの舞を舞っている時、
足も手も、動かなくなった。
「感動して」?
どう言ったらいいんだろう。
今、踊れる、ということ。
なんだか、「あゆみの舞」って、もっともっと凄いぞと。
おいそれと踊れるものではない、と。
それで手がふるえて、動けなくなって。
「あゆみの舞」への畏れで舞えなくなった、というべきか。
よくぞ、この舞を作ってくださったなぁ、という。
今年はヒップホップとか、EXILE踊れるようになりたいなァ、と
なんとなく考えていたのですが、
かまちゃんの説明で。
こうやって、中心に向かって、輪になったみんながこう寄って行く、
この瞬(とき)。
この世のこの時代で。たくさん、たくさん、人がいる中で、
この場所、この時間、時を同じうして。
こうして舞っている、ということの凄さを。
EXILEなどはどんどん新しい振り付けくり出していかなきゃだけど、
わの舞はたんたんと、同じことを繰り返すだけ。
その深さ。
EXILEなんて、メじゃなかった。
EXILE、中心に向かって踊るようなことはない。
(いや、好きなことは変わりありませんから)
涙がとめどなく出てきて、うーん、私の意識はどこにいったんだろう。
気がつくと、終わった時のポーズのまま、自分は真ん中に残っていました。
我がなくなってたのかな。
初めて、舞いながら、意識とんだかな。その領域へ。
トランス状態ではなくて。
これは、初めての経験でした。
自分の身体が自分でなくなった。
自分の意識もなくなった。
・・・・???
なんか、すごく幸せ、気持ちよかった。
大我につながれた感じ。
イエ、宗教ではありませんから。
きっと、縄文の昔の人はこんな感じで踊ってた。
輪になったみんなが同じこの感覚を持った状態で踊ってみたい・・・ものだ。
そしたら、きっと、もっとすごい。楽しい。
自分の存在が無になった状態は、つよい。
本当の自分は、この地球ではないどこかにあって、
この今ある自分の身体は、一つの出張所(by かゆん)。
根底、無意識ではみんなつながっている。
世界中の人の心は、つながっている(by ユング)。
自分の苦しみはまだ昇華できてないんだけど、
あのあゆみを踊った時の素晴らしい心地を、思い出し、思い出し。
きっと、みんな、同じ・・・。
苦しみは理解されないかもしれないけど、
もしかしたら枝葉かもしれない。
宇宙からは常に愛と幸せと豊かさのエネルギーが降り注いでいる。
でもそれを受け取れるかどうかは
私たちと宇宙の間にある
ザルの目の大きさにかかっている。
このザルは見えない世界とこの世の境目にあって
いい気分の時はザルの目が開いているので
宇宙エネルギーが注ぎ込まれる。
(「『引き寄せ』の法則」)
岐阜から帰ってお風呂に入って出てきたら、
何故か全身、メンソールでも塗ったかのようにやたらすーすーするの。
あたかも一皮むけて大きくなったかのようで。
細胞が一新したのかなんなのか。
これも不思議な体験。
不思議と言えば、漫画の「昭和元禄 落語心中」ハマって、
もうたまらず落語の動画開いた。
そしたら言葉分からない。
字幕付きの探したんだけど、英語の字幕、だってさ。
落語、楽しみたいのに。
昔歌丸師匠がNHKでやったのに字幕ついてたの見たくらいか。
大阪のトリイホールでも、寄席をよくやってたんだけど
分からないから見られなくて悔しかったよなぁ。
という訳で、昨日ないことに一生懸命落語の動画を探したりしてたのですが、
そしたらその桂春団治さん。亡くなってた・・・・。
なんともいえぬ、思い。
モノじゃない、人、がキーワード。
それも残すものでない、落語しかり、わの舞もそう。
その生(ナマ)の、生きた人の、瞬間の。時の、共有。
それが、幸せ。
確かに一人で黙々とお稽古すりゃ誰より落語はうまくなるよ
ただ落語ができりゃいい
ずっとそう思っていたからね
けど、
ここへ来て少し料簡が変わったんだ
さっきの芝浜を聞いても思った
人ってのは全てわかり合える訳がない
それでも人は共に暮らす
取るに足らねえ詮ない事を
ただ分けあう事が好きな生き物なんだ
だから人は一人にならないんじゃないか
(「昭和元禄 落語心中」)
つまり光の量だあなたや折り鶴に皺を与えてうつくしくする
大森静佳
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宇宙や、人と。つながるのが、なによりの幸せ。
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