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Channel: 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
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ぎっくり腰で舞ったわの舞は

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続きです。

えー、ぎっくり腰治り切らないまま、私は北陸新幹線とサンダーバードに
乗って大阪へ。

サンダーバード、途中から腰、背中痛くて辛かった。
立つとマシになるので、立ってみたり腰浮かしてみたり。
一日目は母と神戸三宮を15年ぶりだかに訪れたのですが、
ランチの時も席に座り続けておれなかった。

の、状態で翌日、
私自身、舞い納めとしたい わの舞かまちゃん講習受けました。
去年の12月暮れに、わの舞初めて体験したんだよね。

痛さにずっと、冷や汗、脂汗かいてました。
コルセットと痛み止め服用。

ストレッチはほぼできず。

でもなんか、踊りはよかったらしい。

わの舞って、体幹をほぼ動かさないように舞うものだから。
前屈も後ろに反らすこともできない体が、かえってさいわい。
あたかも、軸ができたように。
どこまで自分の体が動くか、おずおず出すのがナイス。丁寧な動きになった。

1カ月間、痛みでミリミリ、じわじわ、と体を動かしてたから、
動きに説得力が!
完全ではなくても動ける!踊れる!というヨロコビが、体に溢れる。
痛みをこらえてるから、動きのテンション、ずっとキープされる。
静かに、深いテンション持った動きになったの。

ぎっくり腰の痛みのおかげとは言え、
そのおかげで「わの舞でよい、とされる舞は何か」が分かったような気がする。

もう、むっちゃ、ぎゅんぎゅん吸収したの。

全国大会も行けず、なんてことになったのだーーー!!!と
落ち込んでたけど、
天からの贈り物がこのぎっくり腰だったのよ!
わの舞養成ギプスみたいなもの。

有り難や。

という訳で、もう沁みる、沁みる。心に沁みる。

昨夜、スクラップを整理してても全部わの舞につながってうなずくことばかり。

例えばこれら、朝日新聞のコラム「折々のことば」なんだけど。
(説明は要約抜粋しています)

Je  t`aime beaucoup.
「ジュ・テーム」は「愛している」というフランスの言葉。
それに「ボクー」をつけると「あなたのことがとても好き」になる。
「好き」でなく「大好き」なのだから愛はいっそう深いかといえば、
実は逆なのだそうだ。ある人への愛は、
量とか程度、比較などを超えたところではじめて生まれるから・・


あゆみの舞で、中心に向かって振り向くとき、
よくやるのが日舞みたく、目を落として首からめぐらせる。
私も一年前、他の人がやっているのを見て、
「これきれー!」と思って気に入ってたのですが、
わの舞では違う。
頭の軸はそのままで、ターンする。

なぜかというと、まあ私の言葉でいうならば、
前者だと対、人。限られた人対象への、愛、愛情止まりの表現、でしかない。
けど頭の軸そのままターンだと、
これ、他の方がやったのを見て、なんだけど、
より崇高な存在に向けて。
舞っている人も、崇高な存在に、なってる!

ううーん、もー、言葉にしたら陳腐になってしまうのがもどかしいのだけど。

フランス語の「ボクー」が、その変な首の傾げ方、ね。
ターンする時に「とても」「ボクー」をつけると、
狭い意味合いになってしまうの。

「ボクー」を削ぎおとした「ジュテーム」にすると、
深遠な「愛している」になる。
頭の軸そのまま、というのは、そういうこと。

ほかの、わの舞でも、体の軸を動かさないというのは、そういうこと。

❖葉はやはらかく 枝はかたい
かたい枝が やはらかい葉をつくる 
                 高見順

苦労を、痛い体験を、幾重にも内に畳み込む中で、
少しずつではあるが人には芯ができてゆく。
堅い芯ができてようやっと、
弱さに震えている他者にも思いをはせること、重ねることが
できるようになる。風にそよぐ葉のように。

今回、卑近な例でぎっくり腰だったけれども。
わの舞で、肩、腕を捻ってスピンを作るんだけど、
幾重にも体に畳み込むことで、体の芯を作る。
それは、天の舞の時にも生まれる、そよぐてのひら。
芯があるから、どこまでも浄化する腕と手のひらが生まれる。

美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、
美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。
                        坂口安吾

それだけが必要な場所に置かれている姿が美しい。
美しく見せるための一行があってもならぬ。


わの舞で、ちょっとでもきれいにみせよう、という
己の工夫を付け加えるとアウト。
もう、淡々と。

❖旨い料理は傾向として味が薄いと感じる。
これはまさに味が舌に近寄るのではなく、
舌が味に寄っていこうとするのである。
               深澤直人

優れたデザインは人を受け身にしない。
逆に人のセンサーを引き込み、おずおずと立ち上がらせる。


わの舞の振り付けは、過剰でない、薄味。
先に書いた、あゆみの舞の振りかえりのところ。
他のダンスなら、首をめいっぱい使う所、使わない。
それがかえって、「愛」それ以上のものを表現でき、かつ感じさせることができる。

❖ものの味わいの判(わか)る人は
人情も判るのではないかと思いやす
               ある料亭の主人

料理は、素材が選りすぐったものであればもちろんうまいが、
それ以上に、私を喜ばせようとだれかが懸命に働いてくれているのを
知ることでいっそううまくなる。
自分が大事にされていると感じさせてくれるものは、おいしい。


わの舞は、人に見せるための踊りではなく。
中心に在る、周りに在る、その空間が喜ぶように、舞う。
その気持ちで舞ったものが、おそらく輝く舞い、と言われる。

その目に見えない神様なり空間だって、あなたが
空間のために、と一生懸命踊るならば、
あなたの舞をおいしく食べてくれる。
多分感応、呼応して空間自体、輝きだす。

❖私は忘れっぽくなって、かえって「いい加減さ」を自覚でき、
あいまいさも一つの正確さであることを知った。
                  戸井田道三

能芸の評論家。加減。たえず移動する均衡点を、そのつど
状況に応じて外すことなく確定できるのが、
まさに正確ということだ。


わの舞で、その時、その空間、その場にいた人、で変わるのが、
本当だと思う。
読んで、感じて、微妙に変えるものだと、思う。

❖私が生(うま)れたよりももつと遠いところへ。
そこではまだ可能が可能のままであつたところへ。
                 九鬼周造
この哲学者は庭の木犀の匂いを嗅ぐのをこよなく愛した。
嗅ぎながら、私が男/女になる以前、
私がこの家族の一員となる以前、
私がこんな人格になる以前、つまり別のものでもありえた
そんな可能性におのが身がほどかれてゆくのを、
無上の悦(よろこ)びとした。そのことで現在の苦しみを超えようとした。


わの舞を舞う時は、まさしく、そんな境地。
男、女を超えて、人間を超えて。


「腸をきれいにする奇跡の『煮小豆』」ムラキ テルミさんの本から。

人は、宇宙エネルギーを頭のてっぺんから取り入れる。

男性は右回り、女性は左回りに渦巻きを吸収している。
男女が手を触れ合うと中庸になってぴたりと止まるそう。


性別不明の私はどうなってるのか、
実験してみる気は起きませんが
わの舞ではなんとなく、中庸でいられる感じがします。


庭の草木。
何か肥料を、と思いましたが、
花は、余分な肥料などを与えずに水だけをあげて育てると、
花びらの透明感がすごくきれいで、花のもちもよくなるのだそう。


モノを最小限しか持たないミニマリストも出てきた今年、

持たない、動かない、少食、なのが
もっとも豊かに、命を最大限に輝かせるポイントかもしれません。

それでは皆様、よいお年を。
富山このはな酵素風呂 麻蓬は1月6日(水)からの営業です。

光筋






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