11月の25日、わの舞かまちゃん東大阪講習。
26日大阪講習。
そして12月。1日、名古屋かまちゃん講習、

2日明石、礼子先生講習。
経度135度で。12:00ジャスト。
3日、再び135度近くの垂水でかまちゃん講習。
25日からの講習、ウィッグをかぶって受けました。もう始めから他の方にカミングアウトして。ストレスで髪切るのが止まらなくて、坊主頭になりかけのガタガタになってしまってるので、と。
踊っている最中に、ぽこんと外れてしまったらごめんなさい、と主催のMさんにあらかじめ謝ったら、「ここ大阪だから、笑いになるよ」、と言っていただけました。ほっと肩の力が抜けた。
悩み抜きすぎる三週間の後だったので、いい具合に解脱した感じでおれました。
それにウィッグをつけていると、無理なく「女性」になれるのです。元々の自分の髪の毛が男性の髪質なので、どうがんばっても無理だったのが、なんなくすらっと。
服やカバンなど、なんでも似合う、人も優しく接してくださる。タクシーの運転手さんに「お嬢さん」と呼ばれたり、ゆとりの気持ちで人助けできたり、警備員の方が、ドアを開けてくださったり。
「女性」でいることは、なんて楽なのだ、と。やっと自分という花が咲いたような心地です。気分としては女装なんだけど。
普段は短い頭で「男」でいて、踊る時は「女」でいて。過渡的なものかもしれませんが、両方の気持ちが満足します。
もし、元々こんな風に女らしかったら、服やメイク、恋愛にかまけていたと思いますね。それだけの人生で終っていたかもしれない。
今の魂の段階で「女」になれると知って、まつげエクステやファッション、もう少しがんばったらもっと今風の女の子になれるのかもしれませんが、もう服やメイクに心は動きません。
むしろ、いつもよりもっと、ほぼノーメイク。いつものシンプルな格好でいます。でも、充分「女の子」であることを享受して、楽しんでいられる。
髪の毛って存外、力があるものです。ウィッグがかなり助けてくれた。
抗がん剤で毛が抜けてしまった方と同じように、こういう者のためにウィッグがあっていい。今のまでの人生、前髪だけのために苦しんできたようなところもあります。なんなくウィッグはクリアしてくれた。
さて。
今回、講習の合間に、くだんの「世界一のクリスマスツリー」に会いに行きました。神戸メリケンパーク。
愚行を見るためにわざわざ行くか、迷ったのですが、いつもは時間ないのに、ぽっかりと空いた午後。しかも帰り道にある。富山から行ったあすなろの樹に会いにいってあげよう、と。富山から来てぽつんと、戸惑っているだろう、と。
………いや、もうあまりにもひどかった。無惨。「世界一可哀想なクリスマスツリー」だった。
想像以上の痛々しさに胸を衝かれて、しゃがみこんで泣くのが止まりませんでした。幹にはたくさんひびが入っていて、あちこち補強措置がされていました。
人間の愚行をもろに目の当たりにしました。
ごめんね、申し訳ない、とずっと手を合わせていたのですが、30分以上いても心に踏ん切りがつかず、なかなか立ち去ることができませんでした。
西畠氏もチラチラこっちを見る、セキュリティスタッフにもマークされる。
凍えてきたので、仕方なくずるずると後にしましたが、たまらない。
樹が磔にされて、見世物にされながら苦痛の中、日々死んでいって最後、切り刻まれる。人間のエゴと欺瞞で。
聞こえない分、人間よりも、植物、樹とシンパシーを感じやすいのだと思いますが、樹の思いがどっと流れ込んでくるようでした。
このような時、わの舞的にはどう考えたら良いんだろう?混乱してしまいました。
できることなら、そばに据えられたピアノよりも近い場所、樹に直接手を当てて、24時間、死ぬまでずっと、そばについててあげたかった。
音響のマイクテストを延々やっていましたが、私でも不快な、耳を聾せんばかりの音。樹にとってはもっと辛いはず。
大地から切り離されるということの辛さもひしひしと感じて。
とにかく、この愚行に言葉や行為で対峙するのではない。
あすなろの樹、どんな姿であっても、宇宙空間に働きかけてくださっている、と。
私たちにできるのは、空間に働きかけること……。
あすなろの樹、そういえば、わの舞で立つ時のように、軸とハリを保って、命の限り、立っているように見えます。そこで、空間を作っている。見物に来ている人間の、誰に分からなくても。また、涙出そう。
3日は「さくらさくら」を講習で舞ったのですが、これもタイミングよかった。
樹のことを考えながら。
かまちゃんの話では、早回しだと、人間の目では動かないように見える樹も、その一生は歩いているように動いているのだ、と。
それならば。人間の私には辛そうにみえるけど、300年生きた樹にとっては、これは痛くも痒くもない一瞬のことかもしれない、と、やっと気持ちをおろすことができました。
今回、わの舞の講習を連続して3日間受けた訳てすが、魂の成長が著しく。
私も早回しで魂の成長をしているようです。
吉本ばなな「ふなふな船橋」から言葉を拾う。
目が覚めると、胸のあたりが光るよに温かい。
とても優しくされた感触と、ほんとうに心の通じるだれかと会って何かをわかちあった頼もしい気持ちと。
存在だけでいいのだ、人を百倍も千倍も強くしてくれるなら。そしてその存在は人の潜在的な力を思わぬ形で引き出してくれる。
私とか花ちゃんみたいな人たちが、ほんの少しずつ、世界を広げていくの。未来に向かって。かたつむりくらいのろくても、アリンコくらい小さくっても、梨の妖精くらい弱そうでも。いなくっちゃだめなの、私たちみたいな夢見る人たちは必要なの。どんにばかにされたって、笑われたって、死にそうになったって、死んだとしたって、人類が続くために、いなくてはいけないの。
私の気持ちが直接花子さんに伝わっていることは、波のように優しくその思いが伝わってきたからわかった。これが天国の会話なんだ。
視界が開けてなにもかもが冴えて見えるし、体も研ぎすまされている感じがする。
世界が急に腕を広げて私の引け目を包み込んでくれたように思えた。
そして現実は収まるところに収まった。
人生が全くとどまらず川みたいに流れているのを切実に感じた。俯瞰するとそこには違う世界が見えた。それならばもっと遠くから、もっと大きな理(ことわり)を見たい、その獰猛な心が抑えきれないくらい、世界の姿はまた急に変わった。
今、私はやっとここに来た流れの全てを理解して、人生の妙を感じていた。
当時は思い出すのもつらかったあの雨の日が、歳を取るごとにいちばん美しく優しい色の、いちばん何回も思い出したいものに変わっていく。なんて美しい魔法だろう。