わの舞講習会ツアー行ってきました。
(※自分で勝手に組んだもの)
富山から大阪中津→神戸→京都→名古屋→富山。
富山から大阪に来ると、私の好きなハクモクレンの花があちこちに咲いている。
ある講習会では、5~6回、泣いた。
建物の三階で、そこから六甲山が見える。
関西で生まれ育った私には、思い出多き山。
その山並みを望みながら、こんなレトロな床の上で舞う。
高校の時、山岳部だった私は自主トレとして土日、六甲の山に一人で登っていた。
ある時、男性に襲われて、
未遂ではあったけど、殺されかねなかった。
私はこけつまろびつ、山道を逃げた。
それまでも「男性」であったけど、
そのことがあってなおさら自分の中の「女性」を閉じ込めた。
それから約30年後の今、
その六甲を眺められる部屋で、
再び「女性」として喜びにあふれながら舞うことのできている不思議。
まだ、そんな、女っぽい踊りではないのだけれど。
そういえば、と私は思い出した。
自分では「男」「硬派」のつもりでいたのだけど、
結構痴漢やセクハラ、ストーカーの被害に遭っている。
一般女性からしても多分、多い方。
決してかわいこぶったりしていなくて、
どちらかと言うとセーラー服の袖をまくって
スカートのポケットに手を突っ込んで歩いている風だったんだけど。
考えたら小学生の頃、いやもっと、前から。
そういう目に遭っている。
そのことも忘れていた。
封印していたのか、
気に留めていなかったのか。
その日一日を、生きることで精一杯だったから。
空腹、寒さ、痛み哀しみ、
聞こえないことによるこの社会で生きていく上での悲しみ。
その中にあっては、体のことは二の次だった。
セクシュアル的にいくら体に何されようが、ショックは多少受けるけど、
それ以外による哀しみの方が上回っていた。
自分の今までの人生で意外と多かった性的なこと。男性・女性のこと。
わの舞は自身の「女性性・男性性」に向き合う舞で、
神戸で男性6人のみによる「天の舞」を見ていて、
なぜだかぶわっと涙が溢れてきて、止まらなかったのだ。
私に、昔の時代の男女が語りかけてくることが小さい頃から多い。
幼少の時から社会人になっても、
頻繁に聞こえてくる男性と女性の声を潜めた話し声。
幻聴ではなくて。
古い屋敷では、昔の時代の女性が泣いている。
富山に来てからは特に、昔の女性たちの恋するのに叶えられない哀しみの想いが。
私は恋を知らないのだけど、
その私に伝えられてくる想いは滾って、狂うような、そんな想いを。
まあ、そんな感じで、男女関係や恋バナに縁のないような私に、
沖縄でもタイでも、そんな、、、第二次世界大戦中の婦女のことだとかが
目の前にくり出される。
今の私に、訴えかけているようで、
そうか、とかうーん、大変だったね、と。
私に、男性と女性の問題を解決してほしいのか。
わからないから、とにかく感じて、見てあげている。
多分、これも私の体を借りての
男性性と女性性の統合の作業の形だと、思っている。
男性6人が、「天の舞」を踊る。
これは、解き放たれて本来に戻れて喜んでいる昔の男性たちの姿。
強くあれ、と強いられたのではなく、
本来の優しさをまとった姿。
それを見て、私の中の昔の男性は喜んで、泣いた。
多分成仏だか昇華だかされただろう。
例えば、そんな風に、私の中のたくさんの人が、
喜んで、泣いた。
家で母に「天の舞」舞ってみせたら、
母も泣いてたね。
大阪でみんなで歌った「歩みの舞」の歌を歌う。
歌うほどに、何重にも意味が見えてくる。
体の動かない娘が、母に歌う歌。
逆に、母が体の動かない息子に歌う子守り歌。
宇宙、「創造」のみなもとへと人が歌う歌のようでもあり。
数億の精子が一個の卵子に向かう姿のようでもあり。
わの舞を舞っていると、それこそ「楽園」で舞っているようで。
すべてが、過去のことになる。
肉体を持った天使、あるいは魂だけの存在になる。
講習に向かうある駅で、白い杖をついた男性を見た。
私の後方を歩いていたんだけど、(そういえば何で私は気づいたのか)
その人がこれから進む黄色の点字板のところを
親子がふさいでいたので、よけるようにお願いして先を歩いた。
するとちょっと間に合わなかったのか、
親子に激怒する男性の大きな怒鳴り声が。
しばらくしてその男性が同じホームに来た。
その男性には私の姿は見えない。
「あの、腕をかしましょうか?」
すると男性は嬉しそうな顔で、私の腕をがしっと握ってきた。
電車に誘導して、結局同じ駅だったので
目的のところまで案内したのだけど、充分穏やかな顔になっていた。
天使といったら、こんな風に人間のお手伝いする感じだな、とも思ったし、
「人間様」のお手伝いができるのが、
その男性のお手伝いをさせてもらえるのがこの上ない「天使」の喜びだった。
同じく、神戸でも富山ではめったに見ない
電動車椅子に乗った若い女性が人生を楽しんでいる姿を3人も見たし、
帰りの名古屋から富山では、
言葉の通じないでいる外国人の年配女性をお手伝いした。
はて、行きしでもなにか、誰かをお手伝いしたような気がする。
そんなふうに、楽園で舞って、この世でも人を助ける天使になる。
とても優しくされるということ。
心が通じるということ。
分かち合う喜びと。
それによって幾多の魂、場が浄化されるということ。
それが、わの舞。
そのことが、どうか、
みんなに伝わりますように。
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わの舞講習会ツアー。浄化統合される、女性性と、男性性。
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