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Channel: 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)
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私の中の、必要なアク(悪)。

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体も脳も綱渡りの日々、料理でも生活でも「これ私の考え?」ぐらい、神がかったアイデアが出てきます。脳がシェイクされて、リミックスされたような。



さて。

昨日、気遣ってくださった友達から「ニガリのない塩」を戴きました。「グローバルクリーン」というところ。


中に入っていた小冊子を読むと、おおっ?!と。今の頭でも理解できるぐらい、明快に断じています。マクロビオティック(以下マクロ)をやってきた者にとっては特に揺さぶられる内容。

・マクロをしていて、たまにお付き合いで食べるぐらいはいいか。
「回転寿司に一回行くだけで、10年間の無農薬野菜生活が無駄になる」。除草剤が最も濃縮された魚介類は恐ろしい。
・病人は200回噛むように、とマクロでは言われますが、玄米はたとえ200回噛んでも消化しない。
・「海塩」はもっとも悪い、ニガリで体を硬くする。腎臓、肝臓、耳の器官も、心臓も、脳も。筋肉も。

確かに。私は顔色が黄黒くなり、肝臓腎臓が悪い。白髪が多い。今の症状と合致します。

そこでこのお塩だよ、硬化した内臓は柔らかくはならない。この機械で唯一柔らかくなれる、と。


ネットで調べてみると、やはり「怪しい」、と出てくるのですね……。

うーん。私は「本物はフリー、無料」が持論です。

友達はゆうパックに、ピンクの折り鶴も添えてくださっていた。


昔、東京のマクロの学校に通っていたことがあって、そこでは試食会、として先生方に厳しい講評をいただく場がありました。初級か中級の時か忘れましたが、ある時私は玄米クリームを作りました。がんの末期の方にお出しするようなもの。

その時どなたかのマクロの先生の本で「食が100%ではない、器何割、雰囲気、意識、愛情何割」内容も割合もほとんど忘れてしまいましたが、これが大事なポイントだな、とピンときて。

玄米クリームの入った器だけをぽんと置くのではなく、和紙に手書きの文「ゆっくり治ってください。あなたが再び舞台に立つ姿が、私にははっきりと見えます」を添えました。折り鶴と。新緑の楓をあしらって、霧吹きで水滴を。今にして思えばあざといかな、でも生徒さんからも高い評価をいただくことができました。

マクロを始める前はソロの舞踏家として活動していたのですが、無理がたたって医学でもどうもならなくなってしまい、藁をもつかむ思いでマクロの食を歩み始めたのです。

学校はマクロ創始者、桜沢如一先生の奥様、里真先生の作られた学校でしたが、マクロの中でも派閥があった。実技講習には要約筆記や手話通訳を自分で手配していたのですが、そんな私でも師範を卒業する頃には、どの先生は間違っている、どの先生はマクロじゃない……と耳にする。ひそひそと囁かれているのを知った。

そんな。マクロの世界でそんなことが……とショックも受け、呆れたのを覚えています。

講師にも、いろんな方がおられた。マクロやっていたらこんなステキな方になれるのかな、という方もおられるし、ああ、この先生陰性過ぎ、あるいは陽性過ぎになってるな、と。

卒業してからはマクロの教室やランチ、カフェ、イベント出店、ケータリング、望診や食箋も書いたり、

依頼されたら講演もしていたのですが、今は食に関する考え方も変わって、恐ろしくてできません。他人にうかつに口を出せることではない。

マクロの他、食に深い造詣がある方々にも何人かお会いしましたが、受ける感じがちょっと「……うーん。」という。本にも映画にもなっておられる方々なのですが。

私自身、圧力鍋で炊いた玄米ご飯がおいしすぎておむすびを食べるうち、1食分がお握り大きめ5個6個と増えていき、しまいにはそれでもお腹すいてたまらなくなったという。肝臓がやられて顔は黄黒くなりました。私には玄米が合わない。なので今は七分づきご飯に黒米などを混ぜて炊いたものをいただくようにしています。

神様、仏様、宇宙は、心、愛を最も尊ぶと思う。仏様(故人)にお線香あげるのも、仏様はお線香の香りが食べ物だから、と。気持ち。

お供えに乗せた心を、いただかれる。だから、「意乗り」という。「祈り」。お供えものに意識を乗せることであった。神様に喜んでいただくことであった。例えそれが市販のルウを使ったカレー添えのご飯であったとしても。気持ちがあれば喜ばれます。がちがちの、排他的な気持ちで作った自然農法の玄米ご飯は喜ばれない。

それを如実に感じさせてくださった方がおられて、マクロ的な食べ物もなにもなく、それでいてとんでもなく幸せな、豊かな時間と空間を作られた。私のマクロのがちがち概念は、その体験の前に崩れました。



世の中には、いろんなアプローチがある。食の他、形で言えば多面体であるとか。意識の力であるとか。

「これが絶対正しいのだ」というものはない。

あなたはこれこれが間違っている。よくない、これこれしなきゃダメでしょ。

私はそれが一番イヤかな。

強制されるのが。これが正しいのだ、として他を許さないスタンスが。なんだか旧式だと思わないか。何々でなければならない、というのも立派な1つの暴力だ。

岐阜の郡上踊りって、何でも、どんな風に踊っても許されて、その中で学ぶレベルに達している人は踊りの空間の中から自らつかみとれる。その方がおおらかで、包容力あっていいな。個人の心に強制的に踏み込むことなく、それでいて強い文化だと思うのです。

グローバルクリーンの小冊子の中に面白いことはたくさんあって、

「全ての動植物は自らの命を守る為に強いアク(毒)を持っています。」

これは人間も同じですね。私の体の中に、私を守るために毒がある。

アクはミネラルの集合体。サプリをとったり、マクロのデトックスで排毒すると、その大事なアク、微量の毒までも排出されてしまう。

「体内では毒素とミネラルは共存しています」

「毒」は実はない。人間が頭で認識しているだけ。ネガティブな思い=悪、と決めつけて、自分の中に認めないような。

排毒でミネラルを出していくと、必要なミネラル(微量の毒)までも失われ、内臓機能が低下する、と。

例えば私はストイックなたち。でも、だからこそ、私は断食に向かない体なのです。清廉潔白、神聖、清浄、といった言葉に惹かれるけど、それで必要以上に自分の体と心の中の「悪」を責めて、追い出そうとする。そうでなくても常日頃、無意識に浄化しようとする力は強いから、そこにさらに自意識でやると苦しくなってしまう。

結果、拒食症で水も受け付けない状態になったり。むしろ、「ラーメン食べなさい」という方が合ってる。事実、そういう状態の私を救ってくれるのはいつも、ジャンクのカレーやラーメンでした。それを恥と思っていましたが、恥ではなかった。

「毒」は必要なのだと。

食でもそう、頭、心でもそう、団体でもそう。郡上踊りがそうであるように。

マクロでも、これを食べてはいけない、というものはない。ルールであって、決まりではない、と言われますが、その辺りはなかなか浸透していかない。

マクロは食だけではなくて人生哲学なのですが、食の陰陽などは今でも子どもの頃から身につけた方がいいなと思っています。

クリスチャンになって聖書の通りに生きようとし始めたら、もう生きるのがとたんに苦しくなってしまいましたね。キリスト教を知らない時の方が幸せだった、と。




16日、西城秀樹さんが亡くなりました。今の私、テレビで拝見した、脳梗塞が再発した頃の西城秀樹さんに近い感じです。怒りがわいても、体に反映できない。喋る言葉も不自由。

ちょうどその日の朝、朝日新聞に載っている樹木希林さんの記事が、西城秀樹さん絡みの内容でした。

「寺内貫太郎一家」で樹木希林さんがお祖母さん、西城秀樹さんが孫を演じたと。その夜に、ちょうど初めてその掛け合いを観ることができました。樹木希林さん、とてもうまい。根っこから出てきた笑いの取り方です。

樹木希林さん、なぜか好きです。佇まい。

その樹木希林さん、おそらく食べ物にこだわっておられないと思う。全身がんでもあられる、と。

どんなものを食べようと、食べ物で「愚かに」病に苦しもうと、その人間から伝わる「心」が好きです。苦しい中で培われた精神。その中からどう、さらに人間性を発揮するか。全身がんになること込みで、「樹木希林」という人間は培われたであろうし、その中でどう見せるかが見せ所かもしれません。

食は地球全体を見ても、確かに大切ではあります。でも、この不協和音こそ、魂の学びの一環として地球に備えられたアイテムかも。学ぶのは、そこからなのかも。

有機農法自然農法で自給自足、淡々と暮らすのを否定するわけではありません。

でも、食をもっともっと超えたところにある本質を忘れると、狭い世界に閉じ込こもってしまうと思うのです。それは、とても、かなり、息(生き)苦しい。



送られた塩を味わうと、やはりそこには「愛」を感じます。

体に合うかどうかは、しばらく私の身体に聴いてみましょう。それも、楽しい実験なのです。










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