1ヶ月前倒しの猛暑が続いています。自律神経が大きく乱れたままの身に、エアコンのないコンクリート造り、川沿いの多湿の家はかなりこたえます。
でも、被災地の方々は、もっと大変でしょう。
7/15のおわら道場の技能審査会、富山能楽堂。
残念ながら、ぎりぎりで棄権しました。
この一週間、慎重に慎重に、微妙に体調を整えてきた。
なのに。
一日の間で何度も苦しく、死にそうな感じと、楽になるのを繰り返す。
夕食後に日が暮れてしまうまで、河川敷で石を踏むのと、おわらの練習とヨガ、それと最近私の中に入ってきた宇多田ヒカルの「初恋」の曲で自分の好きなように踊るのを日課としていました。
宇多田ヒカル、それまであまりピンとこなかったのですが、お店で耳にした曲が気になり、2回目でアプリ「SoundHound」で曲名をキャッチした。
それから歌詞を追い、楽譜を求め。
不思議に、歌うと体全体に電気が走る。曲に合わせて踊るのでも体と心臓がビリビリする。
巫女舞でなくても、自分で体に強烈な確かなエネルギーを通せた、喜び。自分の身体言語だ。宇宙と繋がるツール。
「風に吹かれ震える梢が
陽のさす方へと伸びていくわ」
恋愛の曲はなじまない私ですが、この曲は、合う。メロディが単調な繰り返しなので、そこも。無国籍な感じも。
数日前まで、心の支えになってくれていた。
大自然のエネルギー、大地のエネルギーを受ける。おわらの力と。大分、自分を取り戻せていた。
なのに。
技能審査会の前日14日の朝、西宮の母が知らせなく突然富山に来た。
夜行バスで来て、既に暑いのに近くの駅辺りを迷ってうろうろしているのを交差点で回収。その時点でもう脳と体の内部がゾワゾワしていた。金沢で無理に別れたのが1ヶ月前。
その後、母を乗せて八尾接骨院に車を運転していった。途中、自然ふれあい学習館で運転休憩の時にもうパニックが出始め、スタッフの方に断って板張りの床に仰向けに寝かせていただいた。
八尾接骨院に着いた時はもうダメだった。保険証も持たないでノースリーブでいる母。髪をしきりに触っている姿がもう耐えられない。診療所の隅の板張りの床で七転八倒する。
頼んで母に横になってもらうが、クオンタム治療も焼け石に水だった。
一旦診療室を後にしたが、玄関の辺りで母と言い争いになる感じだったのでまた診療所内へ。時間外になったけど、受付の女性に間に入ってもらう。
お昼の薬を飲むために一人車で近くのコンビニに行ってゼリー飲料で薬を流し込み、また戻る。
受付の女性に、「レズではありませんから」ととりあえず断ってから、肩と腕にしがみつかせてもらった。
母を、力の入らない腕で何回も叩いた。受付の方にしがみついて、泣いた。事が起こってから、もう5ヶ月経つ頃だと思う、やっと泣けた。
そろそろと運転して帰宅して、もう限界!とエアコンのある寝室に。
しばらく煩悶し、やっとのことで覚悟を決めて階下に降りると、むろやんも母も、いなかった。
むろやんに電話すると、母はまた西宮に帰るというので富山駅に向かうところ。と。
近所のおばさんのところに行って、また泣いた。
翌日が能楽堂での技能審査会だ。夕方、いつも通りに土手でのルーティンをこなした。大丈夫。
その夜はゾワゾワ感が残った。とにかく明日、受付までは行こう、と自分をなだめすかして眠る。
翌日。富山能楽堂でおわらの衣装をちゃんと着付けていただき、午前中はごまかしごまかし、なんとか過ごせた。ここでも「昔からここにいるような感じ」との言葉をいただく。
自分の出番は、午後一番か、それか午前中のラストか。
急に、パニックの導火線に火がついた。控え室に戻る。衣装を脱ぐ。普段着になる。仰向けになる。近くの体育センターに行く。医務室の冷たいリノリウム床に仰向けになる。
迎えに来たむろやんに相談して、棄権を決めた。
せっかく、事前に能楽堂も下見したのに。体育センターのサブアリーナを借りて衣装と編み笠着けて練習した日もあったのに。毎日練習してきたのに。能楽堂なのに。
与えられた番号も、私の番号「33」だったのに。
受付で棄権を申し出た。一人の女性の方が、私にそっと拍手をしてくださった。
それが、とても嬉しかった。
そう、ここまで参加できただけでも。引く決心も。
この日、富山は37度だった。
その夜、パニック発作。
そして昨日。朝まだ土曜日の刺激の余韻でゾワゾワ感が残っていた。母が、宇多田ヒカルの「初恋」の新品のCDを置いていっていた。それまで私の心の支えの曲だったのに、反転して嫌な引っかかりを残すものとなってしまった。そのCDを家のどこかに隠してしまう。
この日も暑くなる、ということで、午後は立山へ。プモ・リのカレーと、常願寺川の穴場、小見辺り。
1日のうちで何度も「死」と「楽」を繰り返す。
夕方に土手に向かった時。あまりの体の苦しさに、動いてしまうから入院した方がいいのではないか、などと思ったり、自分の命は今年中に終わるのではないかと思ったりする。
土手を上がる。草履をはいたままだと斜面は滑る。はだしになって登る。
この日課をはじめた頃は草の刺激にさえおののいていた。
最近は刈られた草が伸びてきてなおのこと、痛い。でも、この坂を登らねばならない。やっぱり、生きるには受け身でいられない。心が、「攻め」に転じた。
そしてこの日、5ヵ月ぶりにジャンプ、石の上で跳び跳ねた。何回か、しきりにジャンプした。
まだ、生者と死者のあわいにいる自分だが、跳び跳ねることで一気に取り戻す。
「初恋」の曲を聞きながら、ヨガの太陽礼拝をゆっくり繰り返した。
お前は一体、ここで何をやっているんだ。
そんな言葉も、降りてきたりする。巫女舞も、おわらも、私の身体ツールではないんだろう。でも、もう少しいさせて。
一人でいては得られないものがあるから。
この暑さで、土の中から出てきて死ぬミミズも多い。蚊もハエもいない。だからといって、一日一日を真摯に生きているミミズを敗者というだろうか。いや。
能楽堂になまじ思い入れのある者には、簡単に踊れなかったのかもしれない。だけど、本番に強かったはずの私が。別人になってしまった。
ゴビ砂漠を歩いていた疲れ知らずの過去の私とは今はもう別の肉体だ。切り離してとらえた方がいい。それこそ、ヤワな私を、自ら受け入れて。そこから歩き直す。
美しいものを見ていれば、間違いない。美しいものを美しいと思う心は、変わりがない。